ご存知の方も多いと思いますが、童謡は実は悲しい歌詞(内容)のものがたくさんあります。
例に、「かごめかごめ」を挙げたいと思います。
次のような意味が込められています。
あることろにとても働き者のお嫁さんがいました。しかし、お姑さんはお嫁さんを憎んでいました。
そんな中、お嫁さんのお腹にはひとつの命が宿りました。
「元気な赤ちゃんが産まれますように」とお嫁さんは一人で神社にお参りに行きました。
その帰り道、石畳の階段を降りようとした時。
後ろから、何者かに背中を突き飛ばされました。
転げ落ちたお嫁さんとお腹の赤ちゃんは命を失いました。
そうです、背中を押したのはお姑さんだったのです。
歌詞に沿って意味を書きましょう。
「かごめ かごめ かごの中の 鳥は いついつ 出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が すべった
後ろの正面 だあれ」
(=ああ、いつの日か生まれてくる私の子よ。あなたは一体いつ生まれてくるの。そろそろ産まれてくるだろうあの日の晩、私と我が子は突き落とされた。真後ろにいた人は誰だったのだ。)
悲しく、切ないお話ですね。
また、「夜明けの晩」「後ろの正面」といった違和感のある言葉の組み合わせにも、納得がいきます。
ひとつ例を挙げましたが、他にも悲しい歌詞のものは多く存在します。
しかし、それでも童謡が長く愛され続けている理由が分かるような気もします。
悲しい内容をオブラートに包みこむような歌詞に置きかえ、それを温か味があるメロディーと重ねていますね。何より一度耳にしたら忘れられないのでは、意味を知らずにも口ずさみたくなる気持ちになるのでは、と思います。
そして大人になってからその意味を知った時、少しの恐怖を感じつつ。
どこか懐かしさや共有感が残り続けます。
童謡の魅力はそんな、誰しもにあてはまる人間の成長過程とさらに人間同士をつなぎとめる力を持っている事かもしれませんね。
]]>今日は夜食と睡眠の関係について、書きたいと思います。
自分の体の仕組みを知ることは、万全な体調管理につながりますね。
初めに、なぜ睡眠をとるのかを説明したいと思います。脳・体のふたつにそれぞれ作用があるのですが、今回は体についてに特記したいと思います。
眠っている間、体は細胞レベルで修復プログラムを実行します。例えば血管の小さな傷などを治したり・・・。
しっかりとした睡眠をとった朝、とても気持ちの良い目覚めを迎えた時はありませんか?それは、眠っている間にきちんと、体が小さな故障まで回復させた時なのです。
しかし、夜食をとりすぎると回復どころか、胃の消化にすべての修復プログラムを使い果たしてしまいます。せっかく眠って疲れを取ろうとしても、消化のために体は休むことなく活発に動いてしまいます。
(他にも、例えばお父さんやお母さんがお酒を飲み過ぎてしまう場合、同じように肝臓の修復のために体は一生懸命に働いてしまいます。)
これでは朝の目覚めが悪いのも、当然ですよね。
そこで出来るだけ、寝る直前のお夜食は控えた方が良いでしょう。3時間はあけてみて下さい。
そして体が修復プログラムを実行するのは、夜中の23時~朝の5時となっています。ですからその間に睡眠を取ることをお薦めします。
きっと目覚めの良さが変わりますよ。そして、勉強の集中力や吸収力も変わってくるはずです。
良いコンディションで、試験勉強に臨みましょう!
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今回は、「ものの数え方とその由来」について書きたいと思います。
年賀状を書いた方も多いと思いますが、ハガキの数え方は状態によって変わることはご存知ですか?
何も書かれていない場合は「一枚」と数えますが、何かを書き込んだり、ポストに投函した時点で「一通」へと変化します。
また、ハガキは「一葉(いちよう)」とも数えます。葉のように手のひらに乗る薄さで、ひらりと舞い落ちていくことから生まれました。
次にたんすですが、「一棹(ひとさお)」と数えます。
昔、たんすには(和だんすとなりますね。)両脇に棹を通す金具がつけられていました。そこに棹を通して二人で持ち運んだことが由来となっています。
(大名行列の、大名がかごに乗って運ばれる様子を想像してみてください。それと同じような形で移動されていたのです。)
山にも数え方があります。「座」と言います。
山の形が、人間が(あぐらをかくように)座っている様子に似ていることから名づけられた数え方です。
続いてウサギの数え方です、「一羽(いちわ)」である事は有名ですね。
これは、明治時代以前は「肉を食べると天罰があたる」という仏教の教えがあったために、四足の動物(「匹」・「頭」と数える生き物ですね。)を食べることが禁じられていた事が始まりとなっています。
禁じられているとはいえ、病人の体力回復のため、狩猟した鹿や熊を「薬喰い」と言い少しずつ肉を食べろ事は許されてはいました。
しかし「薬喰い」と称しても、動物を殺生して食する事はためらいがありました。
そこで羽のような大きな耳を持ち、ぴょんぴょんと飛ぶウサギは鳥と同様とみなしました。そして、「ならば一羽・二羽と数えよう」と考えました。
少しは後ろめたさがなくなり、たくさん捕まえて食べることも出来ると思ったのでしょう。
それが今でも定着して「一羽」になったのです。
このように、数え方には昔の人々の知恵と想像力が大きく働いています。ひとつひとつのものを観察し何かの姿に重ね、名づけています。
皆さん、もちろん他にもたくさんの数え方があります。是非語源から調べてみてください。面白い発見がありますよ。
皆さんにとって飛躍の一年になれば、と願います。
家庭教師のジャンプとともに実りある一年を過ごしましょう。
本年もよろしくお願いいたします。
今回は作文を作成する際の構成について書きたいと思います。
「作文を書く前に構成を練る」と一言でいっても、どうしたらよいのかわからない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで簡単な例をあげて「構成とは」を見つめ直してみましょう。
一番のポイントになってくるのは、与えられた課題に関して「一番の主張・結論をどこで述べるか」です。
大きく3つに分かれます。
①最初に述べる
②最後に述べる
③最初と最後に述べる
おすすめは①と③です。テーマに沿ったものが書きやすくなるためです。また、読み手に一行目で「出題の意図がわかっている」という印象を与えやすくもあります。そして続けて読みたくなる気持ちも持ってもらいやすくもなります。
次に自分の意見や主張を述べるために大切になってくるのは、「理由」と「具体例」です。理由で根拠を示し、具体例で内容を膨らませていくことができます。
作文が苦手な方は、この3つの要素をそれぞれ一行ずつ書く、「3行作文」を繰り返すことからはじめたらよいでしょう。急にテーマと文字数を指定されて書き進めていくうちに「自分でも何を書きたかったのかがわからない」状況になりやすい方には特におすすめします。
慣れてきたら、「具体例」を増やしたり、「自分の考えとの反対意見→反対意見をくつがえす理由付け」を書くのも良いでしょう。幅ひろい視点を持っていることを相手に伝えることが出来ますよ。
今回は読点・「、」を使うことで文章がどう変わるかを話したいと思います。
まずは例文をひとつあげてみましょう。
「忘れものに気づいたお母さんは急いで学校に向かった僕を追いかけた。」
これでは急いだのが誰なのかがわかりませんね。そこで、読点が大切になってきます。
・忘れ物に気づいたお母さんは急いで、学校に向かった僕を追いかけた。
この場合、急いだのはお母さんですね。
・忘れ物に気づいたお母さんは、急いで学校に向かった僕を追いかけた。
こちらは、急いだのは僕ですね。
このように、読点は文章の内容を決める場合が多々あります。気をつけてくださいね。
また、ちがう形で読点を生きたものにしている文章があります。実際に家庭教師での指導を行った生徒さんが授業で書いてくれた詩です。
私は、海になりたい
だけどなれない
だからながめるだけでいい
ずっとながめるだけでいい
海になりたくてもなれない自分を描いた詩ですが、一行目に注目してみましょう。「私」と「海」の間に読点をいれていますね。それは、私と海は違うものである・相容れない存在である主張を、二行目の「だけどなれない」という具体的なことばの前に表しているのです。そして「遠くから愛しい気落ちを持つ」に至っています。
他にも、歯切れの悪い、うしろめたい感情を文章にするために一文にたくさんの読点を入れる表現方法もあります。たとえば「僕はあの時○○だった」と「僕は、あの時、○○だった、」では受け方がちがってきますね 。とても人には言えない自分の気持ちを、ポツリ、ポツリとためらいながら話すような印象を読み手に与えることが出来るのです。
このように使い方次第で、読点は心情を表すことも出来ます。
作文や小論文を書く場合、言葉づかいや文脈(つながり)、原稿用紙の使い方に重点を置く傾向があるでしょう。もちろん前提として大切ですが、「読点も文章を決定づけたり自分の個性を充分に引き出すことが出来る」ということも意識してもらえたらと思います。
もうひとつ、日本の呼び方として「言霊の幸う国(ことだまのさきわうくに)」という美称があります。
話す・書く言葉には、そして相手に伝える日本語には霊的なもの・神秘的なものが宿っているととらえる感覚なのでしょう。
例えば「黄昏時(たそがれどき)」。夕方を表す言葉ですが、元々は「誰そ彼(たそかれ)」が語源です。夕暮れのぼんやりとした暗闇の時間帯は、相手の顔もきちんとはわからない。そこで「誰だあれは?」といった風情が込められています。
(明朝を指す「かわたれ時」も「彼(か)は誰(たれ)」からきています。どちらも景色の中に、人間が溶けこんでいるのですね。)
また、その時間帯には薄暗さの中ゆえ、神かくしにあうと昔の人々は考えたようです。「たそがれ」の当て字が「黄=土」、「昏=深い底」であるのは、神かくしにあった後の世界が土深い場所であるからという説もあります。
もうひとつ、あいさつのひとつに「おはよう」という言葉がありますが、この「おはよう」は、元は「小早う」と文字があてられていました。
朝早い時間のあいさつであることはもちろんですが、「小」には「美しいもの」という意味がこめられていました。(清少納言の「枕草子」でも、「何も何も小さきものはみなうつくし」と書かれていますね。)つまり、私たちは「朝は美しい」という言葉を相手にかけているのです。
学習は詰め込み作業のようにも感じることがあるとも思いますが、時にはたくさんの日本語という言霊に触れ合っている気持ちを抱いてみてはいかがでしょうか。日本語は美しい言葉たち、ととらえてみてはいかがでしょうか。学びにおいての視点・吸収力に変化が出るのではないかと思います。
中学三年生のみなさんはテスト範囲の中に、松尾芭蕉の「おくのほそ道」がありますね。
松尾芭蕉は旅の途中で目にした情景・耳にしたものと、そこで感じた気持ちを俳句で詠んだことで有名な人物です。
しかし、情景の美しさと気持ちだけを書きつづっているのではありません。
例えば代表作のひとつに「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」があります。
(「静けさや 岩に染み入る 蝉の声」と書かれることもあります。)
この句に関して、「蝉の大きな鳴き声」と「静けさ」の両方が含められていることで、不思議な気持ちを持った方も多いのではないでしょうか。
「静けさ」とは、周りの環境が静かなことを指しているのではなく、松尾芭蕉自身の、内なる音を聴く姿勢を意味しています。
人間は心が静けさを保っている状況だと、自分の体の中で何が起きているのかを感じることが出来ると芭蕉は考えました。
例えば、心臓の音、呼吸音、血のめぐりなど、、、生命の音・動きを感じることが出来る。そういう意識の元に、「静けさを聴く」中で蝉の声も聴いています。そしてそのふたつの生命ををリンクさせています。
(他の作品も、同じように考えられます。)
このように情景と心情に加えて人間の生命力を重ねていることが、松尾芭蕉の俳句の素晴らしさを物語っているのかもしれませんね。
もう一度、教科書でもよいので「おくのほそ道」を読んでみてください。新しい発見が、あるでしょう。
ここで言う基本とは、「なぜそう考えたか」という、とてもシンプルなものです。答えに行き着いた過程や、発想、そしてこれまで学習して身につけてきたものと結びつける力を指します。
テスト勉強は、「考える力」を育てるいい機会になります。時間をかけて、理解に努めていく事。その大切さを教師と共に培っていきましょう。きっといい結果がおとずれるはずです。
変わらずインフルエンザも流行しています。体調管理にも、気をつけてくださいね.
期末テストも終わりいよいよ夏休みに入られた生徒さんも多いのではないでしょうか。夏休みの予定はいかがですか?
夏休み目前から受験生さんを中心に夏期講習のお申込みがぞくぞくと入ってきています。夏休みは今までの苦手単元を復習する絶好の機会です。
これから予定を立てられる生徒さん、この機会に是非!!♪
]]>遊びと勉強のメリハリをつけ、良い休日を過ごしましょう!
]]>焦らず粘り強く、時には小学校高学年の補習も加えて、基礎力の定着を図りましょう。
ジャンプなら、分からない部分の基礎から徐々に教えて行きますので、
授業の内容もとても理解しやすいと思います。