静岡県の家庭教師

静岡県の生徒さんへプロ家庭教師のジャンプからのお知らせ

字を書くということ。(ディスレクシアを考える)

2015/04/27

 思い出話が続いてしまって恐縮ですが、今回は字の話をします。

 私は小学校・中学校と字が汚いことが悩みでした。
一生懸命書いても、「読めない」「もっと丁寧に書け」と怒られます。
そんなことが続き、宿題一つやるにしても、やってあれば良い、
丸付けしてあれば良い、勉強内容を覚えていれば字の美醜は問わない
と完全に諦めてしまっていた私が自分の字を意識したのは。高校の時でした。

 周りのギャル風味な子たちが、仲の良い友人同士でしか解らないように、
記号や略語を用いて手紙を書き、プリクラ帳と呼ばれるものに挟んで交換
しているのを、字の汚い私は異国の風景のように眺めていました。
当時、ギャル文字というものが流行っており、皆の書く字は、読めるかは別にして
とても丸っぽく女の子らしく、可愛い字でした。

私の書く字は、板書だけでなく先生の発言も書きとめ、書き漏らしがないように
当時の授業ノートを見返しても、部活の楽譜を見返しても、美しいとは言い難い
字をしていました。


 私の当時の字を個性と認めてくれたのは、書道部の先生と一人の友人でした。
先生と友人は、私の字を好きだと言ってくれました。
また、教員志望で、汚い字で板書をするのは…と気にしている私に、
先生は見やすい字を書くコツも教えてくれました。

 先生は、一つの作品を見せてくれました。
覗き込んだその作品は、書道展か何かの資料でしたが、書かれている字は
不勉強な私には読めませんでした。
先生は「俺も読めないやつは読めないよ?」と言って笑っていました。

 先生いわく、字も芸術であり、書く人一人ひとりの作品は違って当たり前
なんだそうです。違って、多少崩れていて、それも字であり作品だと思え、と。
また、先生は 「空間を見ろ」 と言いました。


 私はそれまで、字を書く際には字の形を思い浮かべて書いていました。
字の形が合っていれば正解だからでしょうか。
漢字のテストで「とう」という読みに、美しく「門う」と書いても不正解です。
私はその字が正しいかどうか、漢字ドリル・漢検テキストと相違ないかしか、
意識しておらず、合っているかどうかを基準に字を書いていました。

本来テストの答案など、他人に見せる意識もなかったので余計に、
「自分自身が解りさえすれば良い字」を書いていました。
そんな私が大学に内定し、将来の進路として生徒の前で板書をする自分の姿を
具体的に思い浮かべたのも、転機の一つだったのかもしれません。
黒板に「自分自身が解りさえすれば良い字」を書く訳にはいきません。


 先生に言われて、空間…つまり字の余白部分を見てみると、
私の字は先生の手本の字に比べて、余白が極端に狭く、偏っていました。
とめ、はね、はらいを意識していても、余白の違いでここまで字が違うんだ、と
驚いたのを覚えています。それからは、字の形を意識するのは当然のこと、
その余白を、まずは偏らずに均等にとるように心掛けました。
それだけで、かなり見やすさが違ったように思います。

 私はそれ以後、字を覚えているかどうか、のみに着目して使っていた
漢検問題集を、字と余白のバランスを意識してもう一度書き直してみました。
今までコンプレックスだった字が、少しずつ育って綺麗になっていくようで、
小さなわくわく感がありました。

 現在、ディスレクシアの生徒さんの書いた字を見る機会が多くあり、
あの頃の必死だった自分をよく思い出します。
一生懸命書いたのに「読めない、書き直せ」と言われてしまうのはつらいです。
学校の先生に、ディスレクシアであるということを伝えても、理解して本人の
努力を見てくれる先生もいれば、「字には性格が出る、字が汚い人はいい加減だ」
という主張を変わらずお持ちの先生も、中にはいらっしゃいます。

 私の恩師に言わせると、字は一人ひとりの作品であり、表現であるそうです。
考えてみれば、全く同じ筆跡というのは存在しないから筆跡鑑定があるので、
皆等しく美しい字でなければいけない、ということはないのかもしれません。

 しかし字を否定され続ければ、字を書くことが嫌になり、嫌いになります。
それでも、様々な手続きが電子化されていっても、一切字を書かずに
生活するのは、まだまだ難しいのではないかな、と思います。
字を書けば否定され、嫌な思いをするけど、でも練習しなければならない。
これは、悩む人にとっては苦行以外の何物でもないでしょう。

 でも、美しくなくても、個性も特徴もあり、その人の字はその人のものです。
私は高校卒業間際まで、休み時間には書道室に通い、字をとにかく書きました。
その甲斐あってか、大学に入って出会った友人が、
「ちょっと個性的だけど、その字好きだよ」と言ってくれた時は、本当に嬉しかったです。

この友人と先生のおかげで、私はあんなに嫌だった字の練習を、
高校時代の良い思い出として振り返ることが出来るようになりました。


 私はディスレクシアの生徒さんと向き合う時に、二つのことを考えます。

 一つは、出来る範囲で字を書くことから離れること。
音読で済む作業をわざわざ読め、書け、と指示するのは効率的ではありません。
彼らにとっては、場合によっては苦痛でしかなく、勉強を楽しいとは思えません。
字に酔うような、字に集中することが難しい症状の生徒には、無理に読ませず
基本的に問題文を私が音読します。それだけで随分勉強が効率化出来ています。
様々な手法を試しながら、一人ひとりに遭った方法に置き換えています。

 そしてもう一つは、字の練習を褒めることです。
一般的に見たら汚くて読めない字かもしれませんが、それはもしかしたら、
生徒が倍の時間をかけて必死に書いてくれた字なのかもしれないのです。
練習を始めた頃と、一年後の字を比較すると、それでも全然違うのが解ります。
自分も字が汚くて悩んだ経験があるので、どう言われたくないかは解ります。
練習が続いていることを褒めながら、努力によって字が少しずつ変わってきている
ことを指摘すると、とても嬉しそうな顔で応えてくれます。

 自分の名前や住所、受験番号、試験、様々な場面でどうしてもまだ、
字を書かねばならない事柄には出遭います。それがある以上練習も必要になります。

ただ闇雲に、「汚い、書き直せ」と言われるのと比べると、
「この字は読める、こっちの字はちょっと厳しい、ここをもう少し右に書けば読める」
などと具体的にどうすれば読めるかを一緒に考えてくれる方が、
私は当時ありがたかったなぁ、と、生徒さんと向き合いながら思い出しました。


 イラストのように思って、字を白いキャンバスに配置するつもりで書くと、
意外と字を楽しく書けます(*´∀`*)  松永でした。

プロ家庭教師のジャンプ | 受験・不登校・発達障害・資格取得