昔のお金に関する話
2010年06月01日
こんにちは、百川僚弘です。はやいですね、この間受験シーズンなどとブログに書いていたのが、もう梅雨入り間近の6月ですね。
今日は、史学科志望の高校生の指導をした時のことを書きたいと思います。その高校生を指導した際に、昔のお金のことが話題になりました。
一昔前の、山川の歴史教科書には、最初に鋳造された通貨は、708年の和同開珎(わどうかいちん)と書かれていました。百川が大学を受験する時も、「708年和同開珎の鋳造から、958年乾元大宝(けんげんたいほう)の鋳造までの12枚の銅銭を「皇朝十二銭」といって受験に良く出ます。覚えておくように。」などと、某予備校の授業で言われました。当時は、「富本銭(ふほんせん)」については、名前だけ覚えれば良いだけでした。
ところが、1999年1月に飛鳥池工房遺跡から33枚もの富本銭が発見されました。更に『日本書紀』の683年の天武天皇(中大兄皇子の弟と伝えられる人物)の統治した時代に、富本銭を鋳造したことを示す記述がありました。1月19日に発掘調査に当たっていた奈良国立文化財研究所は、この富本銭は683年に鋳造された可能性が極めて高く、和同開珎よりも古い貨幣である可能性がある。と発表した。
そのため、各種メディアは「最古の貨幣の発見」「皇朝13銭に歴史教科書が書き換えられるのか」などとセンセーショナルな発表をしました。更には、最近になり2007年11月に藤原京跡からも富本銭9枚が発見されました。
生徒サンから聞いた話ですが、そのため、山川はじめ各種歴史用語集の版の新しいものでは、富本銭の名前だけでなく、富本銭が流通通貨だったのか、更には宗教上の「まじない用」貨幣だったのかという学会での最新の学説の対立までが掲載されているそうです。
メディアの日々の進歩は、こういった歴史学や考古学の世界にも役に立っています。皆さんが、学校で習ってきた「当たり前のこと」「学会では当然とされてきた学説」が分野によっては大きく覆される日が来るのかもしれませんね。この、歴史学または、考古学における富本銭の発見は、まさにその1つなのだと思います。
今日も頑張っていこう!!by 家庭教師のジャンプ(横浜支部)
